日々

インスタグラムに綴るにはなんかあれ

令和五年九月二十六日

気がつけばヒガンバナもお局さんのような顔をして咲いていた、


本日は、九月二十六日。


コインランドリー帰りの男性 いい香り

からあげくんを食べる中学生たち いい笑顔


習い事のバレエ帰りの女の子

と その隣にはスーツの男性(このご時世、隣にいるから父親と決め付けてはならない)


険しい顔で自転車を漕ぐ女性

にやけた顔で電話しながら歩く男性 


四合瓶を抱えて歩く女 ワタクシ

今晩は、純米大吟醸無濾過生でございます。

 


閉店間際の八百屋を覗いてみる。

昨年の夏はゴーヤが1本100円だったし、きゅうりが3本で100円だった。

今年は野菜が高くて、別に文句なしに給料を貰っているから50円高くなったからといってやれ惨めに買うことができない訳でもないが、どうも手が伸びない。酒は値段を見ずに購入してきたというのに、可笑しなことだ。

 


そんなこんなで冷蔵庫のなかは虚しく、ヒンヤリとしてしまった。

 


夏はなんとかバテずに乗り切ったが、“九月”という時季は今年も御多分に洩れず、体調を乱してしまった。身体も心もヒンヤリとする。ゴーヤを買って、チャンプルを作って食べていたなら元気に過ごせていたのだろうか。

 


過去と比較して現在を“選択”しようとするなんて愚か者。

過去を引きずっては令和の時代は生きていけないね。