日々

インスタグラムに綴るにはなんかあれ

堕落の本質

突然こんな事を言うのも可笑しな話ですけど、死にたくないんだけど生きてゆくのも怖い。特に明確な理由があるわけでもない。ただ怖い。これは前々から思ってはいたんだけれども、さらに 坂口安吾堕落論 はこれに拍車をかける。現代の私たちにとっては、この堕落論はこの主旨、厳しくないですか?と言う感じ。

 

第二次世界大戦後の混乱する日本社会において、逆説的な表現でそれまでの倫理観を冷徹に解剖し、敗戦直後の人々に明日へ踏み出すための指標を示した“ 作品だ と、ウィキペディアに書かれていたものだから、まあ現代の私たちに共感を得られなくとも仕方がないのかな。

 

敗戦となり、特攻隊の勇士も闇屋に堕ち、聖女も堕落するのは防げないが、それはただ人間に戻っただけで、戦争に負けたから堕ちるのではなく、人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだと

 


ポケモンだってドラクエだって経験を積むことでレベル数値が上がり成長する。このゲームの世界と同じで、いま私が生きているこの世界だって、生きていればいろんなことがあって、これが経験値みたく積み重なって、成長していく。そう思っていたのにな。堕落の本質を否定するわけではないけれども、私たちは生きていくことそのものが堕落のようなものなんだ。そんなこと言われたら、何も知らない、美しいままで終わりたいと願ってしまうよな。

 

ああもうやだやだ くわばらくわばら。