五百円玉を拾ったら煙草を買おう
太宰治の「美男子と煙草」というお話を読んだ。ユーモア交えたちょっとしたネタ話だ。
浮浪者のもとへ太宰が行く、という単純な内容だ。重要なことには、この浮浪者が太宰と同様に美青年であり、お金もあまり持っていないくせに煙草を吸っているということだ。美男子が浮浪者とは、どうも想像し難いところはあるが、自惚れを繰り返す果てがこれかと虚しい話ではある。最後には、太宰が浮浪者と写真を撮るのだが、太宰の妻がこの写真をみたところ、写る太宰の姿を“浮浪者”と言ってしまうという自虐的な、太宰らしい、思わず笑ってしまうオチである。
一節だけ引用しよう。
“ これからどんどん生長しても、少年たちよ、容貌には必ず無関心に、煙草を吸わず、お酒もおまつり以外には飲まず、そうして、内気でちょっとおしゃれな娘さんに気永に惚れなさい。”
何と、ごもっともなことであるか。
これこそ人間が謙虚に質素に生きる術である。
太宰は、これを成し得なかった。
彼はこの話を通して、私たちに、自分の容姿に自惚れ、煙草をいつまでも吸い、お酒を飲み続けるうちに、浮浪者のように人間の最果ての姿になるぞと、伝いたいのだと思った。そして、この姿を太宰自身に投影した。
そして私も、自分自身に投影してみる。
容姿に自惚れてもいない、煙草を吸うわけでもない、お酒を仕切りに飲み続けるわけでもない、この私に。
何故か、心臓が痛くなった。
結局、私は引用したあの文のような、謙虚で質素な人間生活など、一生送ることのできない性なのであった。
今度、道端で500円玉を拾ったら吸いもしないセブンスターでも買ってみようと思った。