日々

インスタグラムに綴るにはなんかあれ

英語力が欠如した私でも「上を向いて歩こう」という日本語を「sukiyaki」なんて訳しはしない

私は日本が好きです。

私は日本語が好きで、日本人の謙虚さも好きです。

私は日本の文学が好きだし、日本の音楽も好きです。

 

1960年代に日本でリリースされた、日本人なら誰でも知っている名曲「上を向いて歩こう」について、昨晩、音楽番組で日本らしい音使いの曲であーだこーだと語られていました。

 

私は、この曲の歌詞の奥が深いところが好きで、この“奥が深い”という表現は適切ではないのかもしれないのですが、例えば歌われていることが抽象的であり、おかげで様々なシーンに当てはまることができるように思うのです、ああ、“奥行きが深い” なんて言葉の方が合いそうですね。

 

しかし、この曲がアメリカにリリースされるにあたって、恐ろしいことが起きていたのです。大袈裟かもしれないですが、例えるなら、カフェラテのミルクを全てお湯に変えちゃった!みたいな。これでは全く、別商品なのです。

 

https://youtu.be/pSYS7cPc3nE

 

まあ私としてはもはやタイトルはどうでもいいです。すき焼き?有名な話だし、もう何でもいいです。大切なのは中身ですよ。

 

 

上を向いて歩こう

涙がこぼれないように

泣きながら歩く

一人ぽっちの夜

 

 

私が好きな歌詞です。

このたった4行からどこまでも想像を膨らませることができる、聴いた人、ひとりひとりに解釈がきっと異なる、可能性を無限に秘めた曲だと思うのです。

 

 

It's all because of you,
I'm feeling sad and blue
You went away,
Now my life is just a rainy day and I love you so,
How much you'll never know
You've gone away and left me lonely.

 

これが、sukiyakiのはじめの歌詞ですが、訳すのは私にも難しくないし、むしろ単純明快すぎませんか。

 

私は音楽の良さの一つに、聴き手の想像を掻き立てることを挙げます。それはひとつの方向ではなく、明るいシーンか暗いシーンか、振れ幅が広いほうがいい、これには同意してくれる人が多いと思います。

 

しかし、sukiyakiは分かり易すぎるのです。貴方がいなくなったから私は寂しい。人生が雨の日が続くようだ、なんて想像が容易すぎる比喩さえついています。はあ、勿体無い。

 

 

文化への適合とは、まさにこのような事象なのでしょう。

 

 

文学の話をします。

 

キリスト教を日本に広める際に、宣教師さんたちは “love” の翻訳に苦しんだそうです。キリストからの愛。ほう。ちなみにこの話は、坂口安吾恋愛論に書かれています。この本においても、現代においてもそうですが、日本では “愛してる” といえばどこか堅苦しく感じてしまいがちです。きっと他の国では今この瞬間も“love”という言葉が沢山飛び交っているのでしょうか。結局、奥ゆかしい日本人に、“love” という言葉を多く含むキリストの教えを広めるために、“愛” という言葉を、“ご大切” とか “好き” という親しみやすい言葉に置き換えたそうです。

 

 

 

 

郷に入っては郷に従え なんて昔の人はよく言ってくれたものですね。

 

 

上を向いて歩こう」はありのままでは、海外に広く受け入れてはもらえなかった。

 

これはどこか寂しい気もしますが、文化を越えるということは人間が不死身になること以上に難しそうです。

 

 

 

何が言いたいかって、もうよく分かんなくなってきました、とりあえず明日が英語の試験。