日々

インスタグラムに綴るにはなんかあれ

憲法に“恋愛”についての項目を書き加えよ

 

 

「恋愛論」

 

これほどまでに興味を引きつつも照れ臭く手に取りづらい書のタイトルがあるだろうか。

 

坂口安吾は恋愛を語る。“恋愛とはいかなるものか、私はよく知らない。そのいかなるものであるかを、一生の文学に探しつづけているようなものなのだから。” という何とも粋な文章から語り始める。

 

このエッセイは読んでいてくすぐったくなる。

 

恋愛とはいかなるものか、もちろんこんな私には知る由もなく、一般的にどうして人々は好き合ったところで “付き合う” のだろうか、などと戯言をぬかしている毎日だ。そもそも恋愛というものは、義務教育で先生は教えてくれないし、憲法や教科書にも載っていない。恋愛の定義などもない。実に、曖昧すぎるものだと思う。私は恋愛というものを受け入れることはめっぽう苦手だが、興味はある。恋愛の感情とは何か。そもそも人間の感情を簡潔にまとめあげ、確実性のあるものにすることなど不可能なはずだ。私は今好きだと思っているこの生活だって、いつかはきっと飽きて情けなく嫌いになるかもしれない。永遠や絶対という言葉はなかなか使えないものだ。それなのに、ましてや恋愛などに一生を誓えるか。

 

 

しかし、

驚くべきことに、「恋愛論」には恋愛感情の “一般解” が書かれている。私は驚いた。人間の感情なんて計り知れないはずなのに、恋愛の感情の一般解を、坂口安吾は、こんな私でさえ納得させるような的を得たものを遺した。

 

とても くすぐったい。

 

これは、世の中に時々出回っている、さあみんな恋愛をしよう!人生を楽しもう!などという類の押し付けがましい呆れた書では決してない。ただ、素朴で純粋な言葉で溢れている。上手く表現できないが、読んで後悔することのない本だ。坂口安吾といえば、少し難しい文章構成をしがちなイメージがある人もいるかもしれないが、これは無意識のうちに自分の身体に言葉が入ってくるような、優しい文章だ。易しい、ではなく、優しいのだ。

 

 

たった10ページほどのエッセイであるが、初めて読んだ高校時代から、私はこれは日本に生きている皆全員が必読すべきだと思っている。大袈裟ではない。国語の教科書に載せるには少し照れくさいから、日本国憲法の一項目に追加してほしい。

 

とりあえず、一度でいいから読んでくれ。

くすぐったい気分になってくれ。

 

 

 

“ 恋愛は、人生の花であります。いかに退屈であろうとも、この外に花はない。”

 

 

 

最近知ったんですけど、iPhoneに初めから入っている「ibooks」というアプリのなかで坂口安吾のエッセイはほとんど無料でダウンロードして読めます。是非。

 

 

私の愛する路上ミュージシャン

深夜3時、

 

デビュー前のゆずが路上で「てっぺん」という曲を歌っている映像をみて、私は泣いた。

 

 

 

私はようやく、この彼らと同じ年齢になった。

 

 

 

 

 

 

私が、ゆずを初めて聞いたのは確か小学4年生の頃、自分のミュージックプレイヤーに父がゆずの曲をいくつか入れてくれたことがきっかけだった。当時、私が持っていたミュージックプレイヤーは、再生中の曲名とアーティスト名のみが文字で表示されるという簡素なものだったので、ゆずというアーティストが何人組でどのような経歴の人たちなのか、知る由もなかった。ただイヤフォンを通して伝わるアコースティックギターのサウンドとどこまでも真っ直ぐな声が心地良かった。「サヨナラバス」「センチメンタル」「夏色」まだ10歳程度の私は、歌詞の意味など到底理解に及ばないのだが、とにかく聞いた。何回も何回も、それだけが楽しかった。

 

中学生になって、ゆずがデュオだと知った頃、私は父が持っていたあまり音色が綺麗とはいえないアコースティックギターを触り始めた。ゆずに少しでも近づきたかった。弦をおさえることは難しく、バッティンググローブを左手につけて弾いた。あの時はまだ、ギターの歌詞コードのサイトが豊富ではなかったので、自分で音を文字に起こして紙に書いて、弾いた。

 

中学3年生の春、私は初めてゆずのライブに行った。

ちょうど東日本大震災の発生から1ヶ月ほど経ったときで、あの時彼らが歌った「雨と泪」と「濃」が今でも忘れられない。

 

高校生になって、流行りのバンドなどに耳を少し傾けながらも、ゆずを弾いた。この頃から、私は年を越す前に必ず「嗚呼、青春の日々」を聞くようになったし、この曲を自分の一生の曲とした。横浜アリーナで、彼らが私の目の前でこの曲を熱唱するのを聞いて、涙した。高校3年生の夏、周りが受験勉強に励む中でも、ライブへ行けばこの曲に涙した。この涙の理由は自分でも解らないが、どうやら身体が勝手にそうなるらしい。彼らにはそれだけの輝きがあって、エネルギーがあって、優しさがあった。

 

 

ゆずを聞き始めて、十年が経つ。

私の人生の半分だ。

 

 

ゆずがデビューしたのは彼らが21歳のときで、私は今20歳で、彼らは一生懸命音楽に向き合っていて、私はアイフォーンの画面をぼんやり眺めている。

 

 

 

 

私が好きな曲のひとつ、「てっぺん」はゆずがデビューする前々から歌い続けていた曲だ。この曲には、ふたりの学歴コンプだったり、音楽の道への強い意志だったりが歌われている。そんな中で、この一節が耳に焼き付く。

 

 

“人を愛すること 意味がわからなくて

それが知りたくて 立ち止まる今日の昼下がり”

 

 

二十歳そこそこの彼らが歌っていたこの歌詞は、二十歳そこそこの私の心を震わせた。

 

現在の彼らは“これ”がもう分かったのだろうか、私にはこの歌詞通りに、まだ意味がわからないし、知りたいと思うよ。

 

そんなこんなで二十歳、何か一つでも自信を持って日々を過ごしたという誇りが欲しい。そんなことを思う、夜更けである。

 

 

五百円玉を拾ったら煙草を買おう

 

 

太宰治の「美男子と煙草」というお話を読んだ。ユーモア交えたちょっとしたネタ話だ。

 

浮浪者のもとへ太宰が行く、という単純な内容だ。重要なことには、この浮浪者が太宰と同様に美青年であり、お金もあまり持っていないくせに煙草を吸っているということだ。美男子が浮浪者とは、どうも想像し難いところはあるが、自惚れを繰り返す果てがこれかと虚しい話ではある。最後には、太宰が浮浪者と写真を撮るのだが、太宰の妻がこの写真をみたところ、写る太宰の姿を“浮浪者”と言ってしまうという自虐的な、太宰らしい、思わず笑ってしまうオチである。

 

一節だけ引用しよう。

 

“ これからどんどん生長しても、少年たちよ、容貌には必ず無関心に、煙草を吸わず、お酒もおまつり以外には飲まず、そうして、内気でちょっとおしゃれな娘さんに気永に惚れなさい。”

 

 

何と、ごもっともなことであるか。

これこそ人間が謙虚に質素に生きる術である。

 

太宰は、これを成し得なかった。

 

彼はこの話を通して、私たちに、自分の容姿に自惚れ、煙草をいつまでも吸い、お酒を飲み続けるうちに、浮浪者のように人間の最果ての姿になるぞと、伝いたいのだと思った。そして、この姿を太宰自身に投影した。

 

そして私も、自分自身に投影してみる。

容姿に自惚れてもいない、煙草を非道く吸うわけでもない、お酒を仕切りに飲み続けるわけでもない、この私に。

何故か、心臓が痛くなった。

 

 

結局、私は引用したあの文のような、謙虚で質素な人間生活など、一生送ることのできない性なのであった。

 

 

今度、道端で500円玉を拾ったらセブンスターでも買おうと思った。

 

 

愛してるってゆってよね

 

気に入っているバンドがあるんですが、普段大っぴらにできないんです。いっけん純粋な“音楽”とは言えなかったり、そもそも一般的にあまり知られていなかったり、まあそんな感じです。

 

でも、ここでなら紹介してもいいよね。

 

 

銀杏BOYZ

 

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 これは「光の中に立っていてね」というアルバムのジャケット。

このジャケだけ見れば、back number系の曲が詰まっていそうに思いません?私はそう思いましたよ。「愛してるってゆってよね」このアルバムに収録されているひとつの曲名。可愛い。歌詞を見てみたいと思わず開くと、なんか見ない方が良かったな。まあ一応曲を聴いてみようとすれば、あれ、聴かないほうがよかったかな。そう思います。

 

ええと、批評したいのではないですよ。

いつも言いたいことが簡潔でないので、もうテーマ言ってしまいますね。

 

 

“人は見かけによらぬもの”  みたいな。

 

 

もし何か新しい曲やアーティストを探そうとするとき、タイトルから入ることって少なくないでしょ。それで実際に聴いてみて、ああやはり良いなと思えばそのアーティストの他の曲を調べてみよう、なんて思うでしょ。

 

 

銀杏BOYZはそれが不可能だなと、そう思います。

 

おそらくタイトルだけをみて聴かなくていいと思うもの、(いやそれは私の偏見かもしれないですがね、) それこそが良かったりします。

 

だから思い切って数曲だけ紹介しますね。

 

 

☑︎駆け抜けて性春

https://youtu.be/PAKzEi3WVpY

このバンドのなかでも割と人気曲です。タイトルの漢字をみれば何か疑ってしまいます。URL載せてみましたが、これはCD録音のものですが、ライブ映像を見てしまった方がいましたら、すみません、本当に疑ってしまいますよ。音楽としては完全破綻してます(笑)絶対クスリやってそうです。知りませんが。

 

実は歌詞が魅力的で。

http://j-lyric.net/artist/a0006e0/l00abce.html 

“ あなたがこの世界に 一緒に生きてくれるのなら

死んでもかまわない あなたのために ”

 

ザ・矛盾!!!

これほどまでに強く儚く美しい矛盾がありますか!!!ねえ馬鹿なの?!!!

一瞬で心を撃ち抜かれますよ。たぶんね。あと歌詞だけではなく爽快なサウンドも良きです。

 

 

☑︎援助交際

https://youtu.be/Y2MGtwB-oFc

本当に、ねえどうしてこの様なタイトルを付けてくれるのって言いたいです。本当に、純粋な恋する気持ちが歌われているのに。

http://j-lyric.net/artist/a0006e0/l00abca.html 

もうこの曲に関しては歌詞一節だけを取り上げるということが私にはできません。このURLから飛んで読んでください。全て包み込んで、好きです。聴けばわかります。このバンドはイマドキの小綺麗な音楽を作っているのではないのです。ただ、どこまでも真っ直ぐ、どこまでも純粋な気持ちを表しているのです。嗚呼、もう聴いてよ。

 

 

☑︎夢で逢えたら

https://youtu.be/0g8DLq7irFI

これはちゃんとしてる。おそらくこれなら抵抗少なく聴けるのでは?

http://j-lyric.net/artist/a0006e0/l00abe2.html 

“ 君に好きな人がいたら悲しいけど

君を想うことが それだけが僕のすべてなのさ ”

 

嗚呼、そんなことある?!?!

どこまでも好きなんですね君が。この“君”はどれだけ幸せ者なのだろうと想像してしまいます。はあ。

 

 

他にも「あの娘に1ミリでもちょっかいかけたら殺す」とか「SKOOL KILL」とか紹介したいけど、紹介したすぎて疲れました。

 

アルバムで聴くならば「君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命」がオススメです。

 

あと、確か「きれいなひとりぼっちたち」という名前で、この銀杏BOYZのトリビュートアルバムが出てます。他のアーティストが丁寧に彼らの曲を歌ってくれています。聴きやすさはこちらのほうが圧倒的なので是非。

 

歯医者デートをしよう

 

奥歯がどうも痛い。

 

これは今に始まった訳ではない。

1年以上も歯医者に行かずに過ごしたこと、時々歯を磨かずに寝ていたこと、毎日のようにグミを食べていたことを省みれば、それは順当な結果である。

 

この事を、今日友人の3人に話したところ、どうも皆も歯が痛いらしい。ひとりは転倒し歯が欠けていて、ひとりは知覚過敏疑惑、もうひとりは親不知が口内で暴れているという。一様に「歯が痛い」と言っても全員症状が異なるものだから面白い。

 

しかし、普段一緒に学生生活を過ごすそれぞれが、同じ身体のパーツに痛みを持っているのに、この痛みを共有できないとはどこか悲しいな。まあ我々凡人は、所詮他人の歯に思いやりを持つことなど到底できない。例えば、これが普段目につきやすい顔や手や足の傷であったら、あるいは喜怒哀楽の感情であったら、同じ“何か”を共有できていたであろうに。

 

歯の痛みはひとりで抱えて生きてゆくのみ、か。

 

 

 

 

 

 

まあ歯が痛いという“思い出”の共有 かつ 歯の治癒の為に、今度4人で出掛ける場所は歯医者になりそうです。治るかな。

 

 

後記 /「歯の痛みは誰にも分かってもらえない」という言葉 どこかで耳にしたことあるなぁと思いながらこの文章を綴ったのですが、ようやく思い出しました。坂口安吾不良少年とキリスト の一節です。

英語力が欠如しがちなこの私でも「上を向いて歩こう」という日本語を「sukiyaki」なんて訳さないけどね!!!

私は日本が好きです。

私は日本語が好きで、日本人の謙虚さも好きです。

私は日本の文学が好きだし、日本の音楽も好きです。

 

1960年代に日本でリリースされた、日本人なら誰でも知っている名曲「上を向いて歩こう」について、昨晩、音楽番組で日本らしい音使いの曲であーだこーだと語られていました。

 

私は、この曲の歌詞の奥が深いところが好きで、この“奥が深い”という表現は適切ではないのかもしれないのですが、例えば歌われていることが抽象的であり、おかげで様々なシーンに当てはまることができるように思うのです、ああ、“奥行きが深い” なんて言葉の方が合いそうですね。

 

しかし、この曲がアメリカにリリースされるにあたって、恐ろしいことが起きていたのです。大袈裟かもしれないですが、例えるなら、カフェラテのミルクを全てお湯に変えちゃった!みたいな。これでは全く、別商品なのです。

 

https://youtu.be/pSYS7cPc3nE

 

まあ私としてはもはやタイトルはどうでもいいです。すき焼き?有名な話だし、もう何でもいいです。大切なのは中身ですよ。

 

 

上を向いて歩こう

涙がこぼれないように

泣きながら歩く

一人ぽっちの夜

 

 

私が好きな歌詞です。

このたった4行からどこまでも想像を膨らませることができる、聴いた人、ひとりひとりに解釈がきっと異なる、可能性を無限に秘めた曲だと思うのです。

 

 

It's all because of you,
I'm feeling sad and blue
You went away,
Now my life is just a rainy day and I love you so,
How much you'll never know
You've gone away and left me lonely.

 

これが、sukiyakiのはじめの歌詞ですが、訳すのは私にも難しくないし、むしろ単純明快すぎませんか。

 

私は音楽の良さの一つに、聴き手の想像を掻き立てることを挙げます。それはひとつの方向ではなく、明るいシーンか暗いシーンか、振れ幅が広いほうがいい、これには同意してくれる人が多いと思います。

 

しかし、sukiyakiは分かり易すぎるのです。貴方がいなくなったから私は寂しい。人生が雨の日が続くようだ、なんて想像が容易すぎる比喩さえついています。はあ、勿体無い。

 

 

文化への適合とは、まさにこのような事象なのでしょう。

 

 

文学の話をします。

 

キリスト教を日本に広める際に、宣教師さんたちは “love” の翻訳に苦しんだそうです。キリストからの愛。ほう。ちなみにこの話は、坂口安吾の恋愛論に書かれています。この本においても、現代においてもそうですが、日本では “愛してる” といえばどこか堅苦しく感じてしまいがちです。きっと他の国では今この瞬間も“love”という言葉が沢山飛び交っているのでしょうか。結局、奥ゆかしい日本人に、“love” という言葉を多く含むキリストの教えを広めるために、“愛” という言葉を、“ご大切” とか “好き” という親しみやすい言葉に置き換えたそうです。

 

 

 

 

郷に入っては郷に従え なんて昔の人はよく言ってくれたものですね。

 

 

上を向いて歩こう」はありのままでは、海外に広く受け入れてはもらえなかった。

 

これはどこか寂しい気もしますが、文化を越えるということは人間が不死身になること以上に難しそうです。

 

 

 

何が言いたいかって、もうよく分かんなくなってきました、とりあえず明日が英語の試験。

 

平成時代について

 

私はこの文章をフツカヨイ的に綴る。

 

ここ1週間だろうか、私は平成時代に終わりが来ることが気が気でない。しかもその終わりは唐突ではなく、期限付きだ。平成時代は病気や事故で突然に死んでしまうのではない、それは緩やかな自殺のようだ。

 

そして私は、たった20年しか生きていないとはいえ、私は、平成という時代しか知らずにいたことを改めて恥じた。いやそれはそうだけれども。

 

 

愛読が現代の著書が少ないせいか、私は過去の時代に魅了されて仕方がない。特に考えることは、大正時代から昭和時代の日本国、世界では大戦があったりなかったりの、しかし人々は明るく前向きに生きている時代に、私が大学生二十歳で実家を離れ生活する様子だ。しっくりくる例はないが、ジブリ映画の 風立ちぬ の時代程度に考えて頂いて十分だ。私も詳しくはないが、現代のようにラインやツイッターはおろか電子端末があるわけもない、連絡を取るには書を送るか、公共に電話があるか、その程度であっただろう。それは現代の技術に頼り切っている私たちにとっては、身動きが取れなくなるほどに不便で、頭を抱えてしまうほどに切ないことだろう。しかし、それゆえの“良さ”が確かにあったはずなのだ。

 

例えば、人と待ち合わせをするとしよう。集合時間と場所を伝える。そして自分が正しく相手をひとり待つ。相手がなかなか来ないことに自分は焦燥し、居ても立っても居られなくなる。あるいは不慮に与えられたこの時間で、相手はどんな服装で来るか、相手は今どんなことを考えていて、どんな話をしようか、様々なことに想いを馳せることができる。

 

例えば、帰省をするとしよう。現代のように交通も便利ではなかっただろうし、もし仙台から新潟に帰省をすることにつけてもお金とそれから時間がかかり、大学生活において数えるだけしか帰省ができなかったかもしれない。家族や旧友の久しく見ていなかった笑顔に安堵し、変化する新潟の景色に一喜一憂する。会うことのできなかった分だけ想いを語り合い、そして幸福を感じるだろう。

 


これらのことが如何に純粋で、如何に美しかったか。

 


人にラインで「あと〇分遅れる」と手早く連絡をし、月に一度は家族に会うような生活をしている私にとっては、想像するだけでソワソワしてしまう。嗚呼。今だって私はこのようにアイフォーンを用いて文章を綴るんだ。シャーペンひとつすら握らない。

 

 

私は平成時代に大変感謝している。
それと同時に、平成時代を嘆こう。

 

 

この拙い文章を読んでくれた優しい人がいたとして、一緒に平成時代を少しでも考えてくれた明るい人がいてくれたら、私は嬉しいのです。

 


最後に、私は冒頭に“フツカヨイ的に綴る”なんて偉そうなことを述べた。これは確か坂口安吾がエッセイの中で (何の本だか忘れた) 太宰治の文章を評した言葉で、聞いたことがある人にはピンと来たかもしれない。

しかし今の私は、単に昨晩美酒を飲み過ぎ、本当に“二日酔い”なのであった。