日々

インスタグラムに綴るにはなんかあれ

歯医者デートをしよう

 

奥歯がどうも痛い。

これは今に始まった訳ではない。

1年以上も歯医者に行かずに過ごしたこと、時々歯を磨かずに寝てしまっていたこと、毎日のようにグミを食べていたことを省みれば、それは順当な結果である。

この事を今日友人3人に話したところ、どうも皆も歯が痛いらしい。ひとりは転倒し歯が欠けていて、ひとりは知覚過敏の疑惑があり、もうひとりは親不知が口内で暴れているという。一様に「歯が痛い」と言っても全員症状が異なるものだから面白い。

しかし、普段一緒に学生生活を過ごすそれぞれが、同じ身体のパーツに痛みを持っているのに、この痛みを共有できないとはどこか悲しい。我々凡人は、所詮他人の歯に思いやりを持つことなど到底できない。例えば、これが普段目につきやすい顔や手や足の傷であったら、あるいは喜怒哀楽の感情であったら、同じ“何か”を共有できていたであろうに。

歯の痛みはひとりで抱えて生きてゆくのみ、か。

 

 

 

 

まあ歯が痛いという“思い出”の共有 かつ 歯の治癒の為に、今度4人で出掛ける場所は歯医者になりそうです。治るかな。

 

 

後記 /「歯の痛みは誰にも分かってもらえない」という言葉 どこかで耳にしたことあるなぁと思いながらこの文章を綴ったのですが、ようやく思い出しました。坂口安吾 の 不良少年とキリスト の一節です。