日々

インスタグラムに綴るにはなんかあれ

偶然ですね、三島由紀夫さん

 

三島由紀夫 割腹自殺の9ヶ月前に録音された肉声テープが発見された と世間では専らの噂だ。

 

私が思わずこれに反応してしまったのは、その前日から偶然にも三島由紀夫の本をチラチラと読み直し始め、鞄の中に入れていたからだった。

 

不道徳教育講座

 

私が三島由紀夫の著書の中で唯一持っているもの。物語ではなく、〇〇するべし という形で様々なテーマについて書き綴られたエッセイである。その書き方は回りくどく、不道徳なことを述べることによって真の道徳を読者に知らしめる、といった形だ。ひとつひとつのエッセイにきちんとユーモアを交えてオチをつけているところが救いではあるが、私の印象としては、まあ面倒くさい。

 

しかし、この本は読んで後悔することはないと思う。現代社会で生きる私たちにとって、忘れてしまいがちなこと、人と人との関わり、人としてのあり方、この本にハッとさせられることが少なくない。

 

時間があったら是非読んで頂きたい。

私が好きなのは、「告白するなかれ」「モテたとは何ぞ」 です。

 

ぼんやりと社会に流され生き、“本質” を忘れがちな私たちに向けて、きっと三島由紀夫は時代を超えて書いてくれたのだと、ちょっと思った。

 

最も俗悪な都市 新潟

坂口安吾のエッセイ 日本文化私観 の冒頭にこんな言葉が綴られている

 

“ タウトによれば日本に於ける最も俗悪な都市だという新潟市に僕は生れ、彼の蔑み嫌うところの上野から銀座への街、ネオン・サインを僕は愛す。”

 

俗悪?

 

坂口安吾といえば、我が母校での大先輩にあたると聞いていたものだから、ひとつは読んでみたいものだと思い、高校生のとき読み始めたものの、いきなりこの文章と衝突する。私は特にこれといって際立った理由はないが、新潟市という街を気に入っているので、“最も俗悪な都市”という言葉にひどく疑念を抱いた。そもそもタウトって誰だ、と。

 

調べてみれば、ブルーノ・タウトはドイツの建築家で1933年から3年半ほど日本に滞在していたらしい。その時に新潟市を訪れた際に大層な酷評をしていくわけです。何を一番悪くいっていたかというと、悪臭。“ 新潟や 悪臭のなかに 藤咲きぬ ” という俳句を残すほどだったそうで。

 

そのときに私のおじいちゃんがよく言っていた、昔の新潟市の街中は沢山の堀があって水の都と言われていたんだ、という言葉を思い出した。そうだった。古町や本町へ行けば、今でもその名残が垣間見える場所がいくつかある。この堀は終戦を迎えて10年ほどしてから、悪臭と、それから自動車などの交通の発達を理由に埋められてしまったとかで。

 

なるほどね、

タウトが評した当時の新潟市は俗悪と言われても致し方ない。

 

 

私は、今の新潟市を、タウトに見せてあげたい。俗悪とはに今来てくれたらきっと、“ 新潟や 信濃の水面に 藤咲きぬ ” なんて詠んでくれるでしょう?

 

 

ヴィヨンの妻 評され方の違和

ヴィヨンの妻

太宰治のなかでも人間失格と同様に、重く考えさせてくれるお話です。何度も読みました。ストーリーとしては単純明快です。しかしそのなかには、何度も読む価値を見出すことのできる言葉がたくさんあります。蛍光ペンでぴぃっと線を引きたいくらいです。

 

 

ヴィヨンの妻 あらすじ と検索してみてください。ダメな夫をもつ妻が強く生きていくようになる話 みたいに書かれていることが多いです。

 

違います。


読んだことのない人にも分かってもらえるように、この夫がどれくらいダメかと言いますと、メンタルが異常に弱いうえ、他の女と遊び、子どもが熱を出していても構わずに酒に溺れ、椿屋という店で3年間もお金を払わずに酒を飲み続け、挙げ句の果てに店からお金を盗み、刃物を振り回し逃亡した程度です。

そんな夫を、ただ家で待ち続けていた妻が椿屋に罪滅ぼしで働き始め、自主性を持ち始める話だと、一般的に知られていると思います。

 

違います。

 

最終的には、妻、名誉も何も捨て客の男と寝て金を得て人間としての美しい生き方を捨てたんです!!!


どんな手使ってでも、世間にどう評価されようとも、生きてさえいればいいやという超超ウルトラ諦観の念と少しの自主性をゲットした妻と それでも相変わらずダメ人間な夫のお話です。

 

世間からの評価が少し違ってるなと思ったことを上に記しただけであり、内容としては素晴らしいので、興味がある人は是非読んでほしいです。以上。